大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和58年(ネ)509号 判決 1984年9月13日

昭和五八年(ネ)第六七八号事件控訴人、同年(ネ)第五〇九号事件被控訴人(以下「第一審原告」という。) 乗名栄治

右訴訟代理人弁護士 高野洋一

昭和五八年(ネ)第六七八号事件被控訴人、同年(ネ)第五〇九号事件控訴人(以下「第一審被告」という。) 鈴木和夫

右訴訟代理人弁護士 井波理朗

同 服部訓子

同 太田秀哉

主文

一  第一審被告の控訴に基づき原判決中第一審被告敗訴部分を取消す。

二  第一審原告の第一審被告に対する請求を棄却する。

三  第一審原告の本件控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事実

第一審原告は、昭和五八年(ネ)第六七八号事件につき「原判決を次のとおり変更する。第一審被告は第一審原告に対し金三〇〇万円及びこれに対する昭和五一年八月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、昭和五八年(ネ)第五〇九号事件につき控訴棄却の判決を求めた。

第一審被告は、昭和五八年(ネ)第六七八号事件につき控訴棄却の判決を求め、昭和五八年(ネ)第五〇九号事件につき「原判決中第一審被告敗訴部分を取消す。第一審原告の第一審被告に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決八枚目表五行目の「君江が」の次に「昭和五一年六月初旬頃」を、同九枚目裏六行目冒頭の「と」の次に「喉が重苦しいことと」をそれぞれ加える。)。

(証拠関係)《省略》

理由

一  君江の診療の経過、第一審被告の診療上の過失と君江の食道癌による死亡との間の因果関係についての当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正するほか原判決の理由中の説示(一四枚目表二行目冒頭から二六枚目表五行目末尾まで)と同じであるから、これを引用する。

1  《証拠関係省略》

2  同一八枚目表六行目の「診察を受け、」の次に「悪性甲状腺腫と診断され、」を加える。

3  同一八枚目裏一行目の「悪性腫瘍」の次に「(右上縦隔腫瘍)」を、同三、四行目の「行なわれ、」の次に「気管、食道への浸潤は明確ではないが、」を、同六行目の「存し、」の次に「甲状腺腫、胸腺腫、リンパ腺腫等が考えられ、さらに」をそれぞれ加える。

4  同一八枚目裏一〇行目の「なかったこと」の次に「なお、君江は、入院後も同月末近くまではほぼ普通に食事(常食ないし粥)をとっていたこと、」を加える。

5  同一九枚目裏七行目の「形成し」の次に「(食道癌が右上縦隔と肝臓に転移していた。)」を加える。

6  同二〇枚目裏九行目の「認められず」の次に、次のとおり加える。

「(日大病院の外来診療録、入院診療録には、同年二月頃から、君江には右のような自覚症状があった旨記載されているが、第一審被告の診療録によれば、君江は同年四月二八日、五月一一日の通院の際にも、右のような症状を第一審被告に訴えていないことが認められる。)」

7  同二一枚目表四行目の「に同女の」から同九行目末尾までを次のとおり改める。

「、同年二月一九日撮影した君江の胸部のレントゲンフィルムには同女の縦隔部に異常陰影のあることが《証拠省略》によって認められるが、《証拠省略》によると、右レントゲンフィルムのみで、その当時の状況から第一審被告が君江の食道癌を発見することは極めて困難であったものと認められるから、この点について第一審被告に医師として過失があるということはできない。」

8  同二五枚目表二行目の「癌」の次に「の転移によるもの」を、同裏四行目の「解することはできない。」の次に「当審証人金田浩一の証言も右認定を左右するものではない。」をそれぞれ加え、同五行目の「証人木下巌の証言」を「原審証人木下巌、当審証人金田浩一の各証言」と改め、同六行目の「五月一三日ころには、」の次に「右鎖骨上窩淋巴節等に転移し、」を加える。

二  次に第一審被告の前記診療上の過失が適切な措置のとられた場合と比べて君江の死を早めたかどうかについて考えるに、前記認定事実に《証拠省略》を総合すると、君江については次のような状況にあったものということができる。

(1)  病巣部の切除手術による根治療法が不可能な段階となった食道癌の場合、一般的には対症療法として放射線照射が考えられるが、右療法は、主として嚥下困難により飲食物を摂取することができない患者に対し、これを可能にするために行うものであるところ、前記認定のとおり君江の場合は、同年五、六月頃にはいまだ飲食物の摂取がそれほど困難な状態にはなかったのであるから、患者の苦痛を緩和し症状の一時的改善を目的とする姑息療法として放射線照射を行うことが要請される状況にはなく、これを試みても意味はなかった。

(2)  そもそも癌の進行度の浅いうちであれば、放射線照射によって転移淋巴節の縮小をはかり、病巣の拡大を防止して、或る程度姑息療法の目的を達しうる場合もあるが、君江の場合は、手術時及び解剖時の前記所見のほか、生検のため右鎖骨上窩の腫瘍の一部を切除した六月一八日の時点において、すでに、右部位の腫瘍が独立したものではなく、より大きな腫瘍の一部にすぎない状態になっていることが明らかに看取されているところからみると、それより一〇日ばかり早く、すなわち第一審被告が君江の食道癌を発見すべかりし時期とされる六月初旬(五月一三日の診察時から三週間後)においても、君江の病状はもはや右のような放射線照射の効果を期待しうる段階ではなかったと考えられる。

(3)  現に、君江が六月一一日に入院した日大病院においては、入院直後から癌等の悪性腫瘍を予測しながら、放射線照射療法を考えた形跡は全くなく、もっぱら腫瘤の圧迫による呼吸困難を排除して気道を確保するための手術のみが唯一の姑息療法として検討され(すでに六月一三日の入院診療録に同旨の記載がある。)、実施されており、君江の死亡に至る経過に照らし右は当然の措置ということができるが、前述した君江の病状からみると、第一審被告によって六月初旬頃に君江の食道癌が発見されていたとしても、右と異なる有効な姑息療法がとられ、あるいは右と同種の手術がより適時適切な措置として効果をあげ、現実に辿った不幸な転帰に比べて相当期間の延命利益をもたらしうる運びに至ったものと推定すべき根拠は見出し難く、気管開窓術による気道確保に甘んずるしかなかった手術時における上縦隔腫瘤の状況にかんがみると、むしろ消極に考えざるをえない。

そうすると、第一審被告の過失により適切な措置がとられなかったため君江の死亡時期を延すことができなかったとして右過失と延命利益の喪失との間に相当因果関係があるということもできない。

したがって、君江の延命利益の喪失を理由とする同女の慰謝料請求及び第一審原告固有の慰謝料請求は、その余について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

また、第一審被告の過失と日大病院における治療費の支出との間には相当因果関係があるということはできず、右支出に基づく損害賠償請求も理由なきものと判断するが、その理由は原判決の理由中の説示(二八枚目表一行目冒頭から同裏一行目末尾まで)と同じであるから、これを引用する。

三  以上の次第で、第一審原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきであり、これを一部認容した原判決は失当であるから、第一審被告の控訴に基づき原判決中第一審被告敗訴部分を取消して第一審原告の本訴請求を棄却することとし、第一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山長 裁判官 浅野正樹 裁判官野﨑幸雄は転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 横山長)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例